恵比寿のビストロが教える日本酒の選び方~その1 日本酒の歴史を簡単にご紹介~
お久しぶりです!
SAKEビストロNa-Naのじゅんじです。
2018年も始まって1ヶ月が経とうとしていますが、SAKEビストロNa-Naブログを更新していきたいと思います。
というのも、日本酒や日本ワイン、日本の食材等々良い物を沢山扱っているのに発信してないじゃないかという事で色々書いていきます。
まずはタイトルにあるように読者の皆様に日本酒の選び方を伝授していきます!!
でもいきなりこれを飲め!!的な事を言われても腑に落ちないと思いますので、まずは日本酒のあれこれを簡単に、かんたーんにお話ししながら日本酒の興味を深めていってもらえたらなと思います。
1.クチカミ酒
そもそも日本酒のルーツや起源は何?というすごく根本的なところのお話しです。
コーンフレークで言うケロッグ、枕で言うところのイラクの石、さて日本酒はというと、、、
人の口の中なんです!!
いわゆる口嚙酒(くちかみさけ)と呼ばれるものです。
最近だと映画「君の名は」にも登場したことで有名になっていますよね。
西暦713年の文献に今の鹿児島県東部でこれを造っていたという記述があり、これが我が国の日本酒の始まりです。
この口嚙酒を簡単に言うと、口の中に生米を入れてガシガシ噛んだ後に容器にペッと吐くというのを繰り返して溜まったら一晩以上発酵させてお酒にするものです。
昔は処女の巫女さんがこの作業をしていたらしいです。。。。
穢れから一番縁遠い人を選んでいたということでしょうか。
何にせよあんまり飲みたくないですね笑
2.清酒
口噛酒は、恐らくいろんな不純物が混ざって濁っていたはずです。考えたら当然ですけども笑
では、現代で僕たちが飲むようないわゆる透明な清酒はいつごろ確立されたのかというと、室町時代頃です。
それまでにも清酒という概念はありましたが、技術や原料の関係で僕らが飲んでいるような透明なものではなくどぶろくや濁り酒のようなものが多かったということです。
ちなみに奈良県と兵庫県には「清酒発祥の地」という石碑まで立っています。
3.酒造り
今では、全国にある酒蔵がお酒を作るのが一般的ですが、この形になるまでには色々な紆余曲折がありました。
弥生時代頃は、神社や神事を司る人達が神様に捧げる為に作っていました。
それが飛鳥時代や奈良時代になると朝廷が作るようになり、その権限を宮内庁が持つようになると酒造りの技術は一気に上がります。
お酒の醸造に関して中国との関係は切っても切れないもので技術の向上の為には貿易を行っていた朝廷が介入するようになったのは必然の流れでしょう。
その後飛躍的に技術が向上し、一部の特権階級の嗜みだったお酒が鎌倉時代には庶民の生活に溶け込んでいきました。
そしてこの頃には、幕府が財源難のためお酒造りを認める代わりに税をかけ始めました。
室町・安土桃山時代には現代の酒造りの体制がほぼ整えられ、江戸時代にはみんな大好き居酒屋という業態が誕生することになるのです。
4.居酒屋
当時、江戸でお酒を量り売りしていた酒屋(酒販店)が、その場でお酒を飲ませるようになり簡単な肴も提供するようになりました。
居続けて飲む「居酒」というサービスが誕生し、当時の江戸は単身の男性が多かった為、お酒も飲めて食事も出来る手軽さから瞬く間に広がっていきました。
江戸庶民風俗図絵』三谷一馬画、磯丸水産から引用。 |
時代は変わっても、変わらない風景にお酒を飲みたくなりますよね(^^)
5.海外輸出
実は、江戸時代にはすでに朱印船貿易で東南アジアに輸出が始まっており、一部の国では日本酒は「食前酒」ワインは「食中酒」というようにその国の文化形成も担っていたのです。
ただ、日本政府のお墨付きとして世界にお披露目されたのは明治5年のオーストリア万博が初めと言っていいのではないでしょうか。
6.酒税
明治時代以降は酒税と酒蔵の戦いです。
もともと江戸時代は複雑に入り組んだ税の仕組みだったのを、明治に入り「酒造税と営業税」の2本にまとめました。
そうなるとお金が払えて技術があれば誰でもお酒を作れるということで何と30,000を超える蔵が誕生しました。
そうなると明治政府はウハウハの左団扇です笑
取れるとこからガンガン絞ったれということで、税収の3割を酒税に頼るまでになりその重い課税に耐えられず7年間で16,000蔵にまで減りました。
昭和に入る頃までにゆるゆると減少していき8,000まで減り、太平洋戦争の打撃で4,000になりました。
そこから平成の消費低迷期や焼酎ブーム、ワインブームの影響もあり現在では2,000蔵を切りました。
ただ次に言いたいのは、単純に減ったから悪いという話ではないんです。
7.今のトレンド
今空前の日本酒ブームだというのは、少なからず肌感覚として僕も持っています。
その要因として時代や経済等色々な要素があると思いますが、僕が一番強く思うのは蔵や作り手の人達が横の連携を持ったことです。
簡単に言うと作り手同士がすぐに連絡を取り合える環境ということです。
酒蔵内の世代交代が10年ほど前から集中的に起こり始め、受け継ぐ世代のツールとしてメールやSNSでのデータの送受信が手軽になったこと。
物理的な移動がどんどん短縮、便利になっていること。
テクノロジーが日本の一部の日本酒を美味しくするのではなく、全国の日本酒のレベルを一気に底上げしたのです。
例えば自分が東京農大で日本酒を学んでいたとしましょう。
先輩には秋田や長野の有名蔵の息子、後輩には京都や新潟の蔵の息子がいたらそりゃ仲良くもなりますし、それぞれが蔵を継いでもしょっちゅう連絡とりますよね!
僕が思うに今、日本酒の歴史上最も味わいの種類が多い時代だと思います。
その多様性を支えているのは全国の酒蔵同士の繋がりや日本酒をもっと美味しくしたいという想いが重なって出来たトレンドのはずです。
ウチの店にも色々なお酒が置いてありますので、飲み比べてみてください。
今回は部分的に掻い摘んで本当に簡単に流れを追ったので、詳しい人から言わせると怒られそうな歴史の説明ですけど少しは「へぇ~」とか「そーなんだ」程度に興味を持ってくれたらこれ以上に嬉しいことはありません。
次回はまた別のテーマでアップしようと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
じゅんじ